2025年1月28日のマツコの知らない世界「絵地図の世界」で奈良ドリームランドが取り上げられました。
絵地図がいま「レトロでかわいい」と人気なのだそう!
すでに2006年に閉園していますが、子どもの頃遊んだ思い出の場所がテレビに登場し、興奮した人も多いのでは?
そこで今回は、あのディズニーランドを激怒させたという奈良ドリームランドについて詳しく調べてみました。
奈良ドリームランドとは?
Wikipediaより
奈良ドリームランドは、1961年に奈良県奈良市にオープンしたテーマパークです。
当時の日本では珍しい、ディズニーランド風の遊園地として知られていました。創業当初は、国内外から多くの観光客が訪れる大人気の遊園地でした。
実際「関西のディズニーランド」とも呼ばれていたそう!入場料も比較的安かったため、家族連れにとっても気軽に行けるレジャーの場となっていました。
しかし、奈良ドリームランドが特に注目を浴びたのは、その設計がディズニーランドに酷似していたことです。これが後々問題を引き起こし、話題となりました。
奈良ドリームランドがディズニーランドを激怒させたのはなぜ?
奈良ドリームランドの設計がディズニーランドに酷似していた背景には、創業者の大きな野望がありました。
当時の日本にはディズニーランドのような本格的なテーマパークがあまり存在せず、その成功モデルを参考にしたいという考えがあったのです。そして、ウォルトディズニーを日本に誘致しようとしていました。
奈良ドリームランドの設計は、アメリカのディズニーランドを訪れた創業者がその構造や雰囲気を詳しく観察し、日本版として再現した結果と言われています。
さらに、建設にはアメリカのデザイナーも関わっていたため、その類似性がより強調されることとなりました。
しかし、この行為はディズニーの知的財産権を侵害しているとして、ディズニー側から激しい反発を受けました。
特に、奈良ドリームランドの城やパレードなど、ディズニーの象徴的な部分を真似したところが問題視、法的な対応が検討されたとされています。
園内のモノレールもディズニーランドに似た造りになっていました。
ウォルトディズニーは「もう日本にディズニーランドは作らない!」と激怒したそうです。
結局、奈良ドリームランドはディズニーとの正式な提携を得られず、公式なディズニーランドにはならないまま営業を続けることとなりました。
その後の日本版ディズニーランド誘致に大きな障害になったと言われています。
奈良ドリームランドはなぜ閉園したの?
ディズニーとは揉めてしまいましたが、ピーク時の1970年代には年間150万から160万人が訪れ、人気を集めていました。
しかしその後の娯楽の多様化などにより、2006年8月31日に閉園してしまいました。
入場者数の減少
1970年代以降、日本各地でテーマパークが次々と開業し、奈良ドリームランドの競争力は徐々に低下していきました。
特に、1983年に東京ディズニーランドが開業したことで、その人気は圧倒的となり、奈良ドリームランドは大きな打撃を受けました。
老朽化と投資不足
開業から数十年が経過すると、施設の老朽化が進んでいきました。
しかし、大規模なリニューアルや新しいアトラクションの導入がほとんど行われなかったため、世間は、奈良ドリームランドに時代遅れの印象を感じるようになりました。
このことが、さらなる客離れを招き、経営悪化に拍車をかけました。
2001年にユニバーサル・スタジオ・ジャパンがオープンしたことも大きな影響を受けたとされています。
ディズニーランドを激怒させた奈良ドリームランドの跡地はどうなっている?
閉園後、奈良ドリームランドの跡地は長らく放置され、廃墟となっていました。
遊具や建物がそのまま残された状態で、荒廃していく様子は一部の廃墟マニアや写真家たちの間で話題となりました。
2016年には跡地の取り壊し作業が開始され、現在ではすべての建物が解体されています。
その後、跡地は民間企業によって買収され、再開発が計画されていますが、2025年現在も具体的な活用案は明らかになっていません。
奈良ドリームランドの名が残るローソンがある!
かつて奈良ドリームランドがあった場所の近くにローソンがあります。
店名は「ローソン 奈良ドリームランド前店」です!今もこうして名前が残っているのですね。
まとめ
いかがでしたか?
「マツコの知らない世界」をきっかけに沸いた、奈良ドリームランドについて調べてみました。
大切な思い出の場所として、いまも多くの人々の記憶に残っていることでしょう。
コメント